先週の7月20日に、サンパウロのフリーペーパーPindoramaを発刊されているコジロー出版の川原崎社長にお越し頂き、恵比寿で勉強会兼飲み会をさせて頂きました。
参加して頂いたのはハバタク(株)の丑田社長、フリーフォトグラファーの青木氏、ITエンジニアの水川氏。
川原崎社長は東京ガス(現東京FC)でサッカー選手として活躍され、その後20代で単身ブラジルへ。健康食品会社と出版社を経営されている。
ブラジルで起業されたという特異な経験、多方面への深い知識と、ブラジル的なざっくばらんさとユーモアがとても魅力的で、話をさせて貰うと楽しいし非常に学ぶことが多いので、今回ぜひ志のある友人達にもあって頂ければと。
話は多方面にわたって、日本のこの危機的状況や、ブラジル現地でのビジネスの状況、ブラジル文化、サッカー、音楽、etc.
皆さんからの議論も活発でとってもおもしろかった。
そのまま立ち飲みやで2次会。何かブラジルからくる方と会うと元気になる。。
今コジロー出版でブラジル情報誌を編集しているとのこと。
ブラジルへの企業進出の情報等、もし何かあれば連絡ください。川原崎さんを通して何かご協力できるかもしれません。
ピンドラーマのリンクはこのブログに貼ってあるのでご参照ください。
また面白い方と絡めてブラジル絡みの勉強会等できればと思っています。
2011年7月27日水曜日
2011年7月25日月曜日
横浜大桟橋シネマフェスタ 成功閉幕のご報告
7月18日海の日の”横浜大桟橋シネマフェスタ Vol.1”、成功裏に閉幕いたしました。
当日はよく晴れたドキュメンタリー日和。
ジャックカフェのどデカハイネケンボトルは今日も鮮やかな緑色を発色している。
11時ちょいすぎに入店するとジャックカフェベースメントのジェット君は先に準備をしていてくれている。
ジャックカフェベースメントとしても映像イベントは経験が多いわけでは無いが、椅子やプロジェクタもしっかり準備してくれていて、一安心。
ジェット君のチョイスで、映画館ぽいスウィングを小さい音で流しながら準備。
岡村監督が少しするとやってきて、DVDチェックは何とか終了。
ジャックカフェに来るまでに物乞いを久しぶりに見たということで、こちらとしても意外な発見。
何かみたことはあるが、あまり意識したことはなかった。
1時を過ぎて徐々に来客が増えていく。
知っている顔もちらほら。
ちょっと不安だったが、何とか上映会の雰囲気に。
岡村監督のいつもの軽快なトークから、”40年目のビデオレター アマゾン編”が始まる。
40年以上前の1962年に神戸、横浜から700名の移民をのせたあるぜんちな丸第12次航。その同船者を探すドキュメンタリー。
希望を持ってブラジルへ渡った日本人達の様々なストーリー。
中でも、ブラジルへ渡ってすぐに風土病で子供をなくしたおばあさんが映像で出ていたが、その悲しみはどんなものだっただろう。
彼らの中にも数年で稼いで日本に帰ってくるつもりが、現地へ行って聞いていた話とは全く異なる状況の中で結局やむをえず向こうに永住することになった人もいる。結果的に良かったという人もいらっしゃったが、当時はそうは思わなかっただろうし、今も日本の方が良いという人もいる。
しかし、そんな話も日本では知らされていない部分が多い。
むしろ日本はあまり目を向けようとしない。
撮影を受けつけない人もいらっしゃった。
それぞれに色々なストーリーがある。
”赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み”
は、今回も佐々木神父の土地なし農民やハンセン病患者のブラジル人達への優しく深い眼差しに目を奪われてしまう。
ご縁で佐々木神父が2年間いらっしゃった黄金町の末吉町教会に前日に行くことができた。この横浜で活躍されて、そしてブラジル、パラナ州の田舎で今も活躍されている。
今回も再度、人生の本当の成功とは何か。という事について考えさせられた。
それぞれの作品に出てくる方々は、この横浜大桟橋を出発している。このジャックカフェがあるビルは80年を超える歴史があるので、その出航を目撃しているだろう。
そういう場所で今回の上映ができたということは何か縁があるのかなあ。
今回は岡村監督、そしてジャックカフェと、ジャックカフェベースメントのジェット君、ハッシーをはじめ、ジャックカフェとこの企画をつないでくれたザキさん、またシネマジャック&ベティの梶原さん、ART LAB OVAのヅルさん、受付を手伝ってくれたカメラマンの青木さん、細かい準備を手伝ってくれたまりかさん、色々な方々にご協力頂きました。
こちらは閉幕後の打ち上げの風景。
また次回も何かしらの形でできればいいなあと思います。
当日はよく晴れたドキュメンタリー日和。
ジャックカフェのどデカハイネケンボトルは今日も鮮やかな緑色を発色している。
11時ちょいすぎに入店するとジャックカフェベースメントのジェット君は先に準備をしていてくれている。
ジャックカフェベースメントとしても映像イベントは経験が多いわけでは無いが、椅子やプロジェクタもしっかり準備してくれていて、一安心。
ジェット君のチョイスで、映画館ぽいスウィングを小さい音で流しながら準備。
岡村監督が少しするとやってきて、DVDチェックは何とか終了。
ジャックカフェに来るまでに物乞いを久しぶりに見たということで、こちらとしても意外な発見。
何かみたことはあるが、あまり意識したことはなかった。
1時を過ぎて徐々に来客が増えていく。
知っている顔もちらほら。
ちょっと不安だったが、何とか上映会の雰囲気に。
岡村監督のいつもの軽快なトークから、”40年目のビデオレター アマゾン編”が始まる。
40年以上前の1962年に神戸、横浜から700名の移民をのせたあるぜんちな丸第12次航。その同船者を探すドキュメンタリー。
希望を持ってブラジルへ渡った日本人達の様々なストーリー。
中でも、ブラジルへ渡ってすぐに風土病で子供をなくしたおばあさんが映像で出ていたが、その悲しみはどんなものだっただろう。
彼らの中にも数年で稼いで日本に帰ってくるつもりが、現地へ行って聞いていた話とは全く異なる状況の中で結局やむをえず向こうに永住することになった人もいる。結果的に良かったという人もいらっしゃったが、当時はそうは思わなかっただろうし、今も日本の方が良いという人もいる。
しかし、そんな話も日本では知らされていない部分が多い。
むしろ日本はあまり目を向けようとしない。
撮影を受けつけない人もいらっしゃった。
それぞれに色々なストーリーがある。
”赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み”
は、今回も佐々木神父の土地なし農民やハンセン病患者のブラジル人達への優しく深い眼差しに目を奪われてしまう。
ご縁で佐々木神父が2年間いらっしゃった黄金町の末吉町教会に前日に行くことができた。この横浜で活躍されて、そしてブラジル、パラナ州の田舎で今も活躍されている。
今回も再度、人生の本当の成功とは何か。という事について考えさせられた。
それぞれの作品に出てくる方々は、この横浜大桟橋を出発している。このジャックカフェがあるビルは80年を超える歴史があるので、その出航を目撃しているだろう。
そういう場所で今回の上映ができたということは何か縁があるのかなあ。
今回は岡村監督、そしてジャックカフェと、ジャックカフェベースメントのジェット君、ハッシーをはじめ、ジャックカフェとこの企画をつないでくれたザキさん、またシネマジャック&ベティの梶原さん、ART LAB OVAのヅルさん、受付を手伝ってくれたカメラマンの青木さん、細かい準備を手伝ってくれたまりかさん、色々な方々にご協力頂きました。
こちらは閉幕後の打ち上げの風景。
また次回も何かしらの形でできればいいなあと思います。
2011年7月4日月曜日
7/18 月祝日海の日 横浜大桟橋シネマフェスタvol.1 フライヤーできました
今回のフライヤーは港横浜の大灯台、横浜シンボルタワーをバックに。
今回も岡村淳監督が来場してのライブ上映です。
横浜とブラジルとの新たな関係、発見があれば。
Jack Cafeのすぐ前にある大桟橋からは多くの日本人移民が南米へ向かって出航しました。
今は美しいデートコースになっていますが、そこは沢山のストーリーが生まれた場所です。
今回ブラジルで多くの日本人移民と関わっている岡村監督の作品、お話がこのような場所で楽しめるのが個人的にも楽しみです。
みなさんお誘いあわせの上、ふるってご参加下さい!
告知はこちらでも:
Cycrew HP: http://www.cycrew.com/archives/1259
日時:2011年7月18日(月祝) 13:00 開場 13:30開演
場所:Jack Cafe Basement http://www.jcbassment.com/料金:¥1,500 w/ 1 drink
〒231-0002
神奈川県横浜市中区海岸通り1−1ジャパンエキスプレスビルB1F
◆みなとみらい線「日本大通り駅」徒歩5分
◆ JR線「関内駅」徒歩10分
連絡: 湯本 doublewiseconsulting@gmail.com
※元々ライブハウスのため椅子を別途準備しますが、来客数が多い場合全員すわれない可能性もある旨、ご了承ください。
40年目のビデオレター アマゾン編
2002年制作/78分
制作・構成・撮影・編集・報告:岡村 淳
南米への移住が下火に向かうなか、1962年4月に700名近い移住者を南米四ヶ国に運んだあるぜんちな丸第12次航。
あれから40年。
出身も境遇も異なるものの、共に新大陸への夢と不安を抱いた同船者たちは今、どうしているだろうか。
アマゾンの河口で小船に乗り換え、泥色の川をさかのぼっていった31人は―。
成功を夢見る父や夫のかげで、運命に絶望した妻子たちも少なくなかった。
移住後間もなく未婚のまま風土病で逝った女性、自ら命を絶った少女…。
同船者の訪問を拒む人もいる。
あまりにも多様な移住者それぞれの人生だった。
移民の願いと出資を受け、自ら移民となった岡村の手による、移民を描いたドキュメンタリー
赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み
日本語・ポルトガル語バイリンガル上映
HUMANITAS 25 anos de atividades
Companheiros da Terra Roxa
2002年初版制作・2003年改訂版制作/66分(改定版)
制作・構成・撮影・編集・報告:岡村 淳
「とんでもないことを始めてしまった」。
ブラジル奥地のハンセン病患者の隠れ里に迷い込んでしまった若き日本人神父・佐々木治夫さん。
佐々木神父は何の知識も資金もないまま、彼らのための診療所作りを始めた。
そして25年――
「フマニタス(人類愛)慈善協会」はハンセン病の診療センターに始まり、ストリート・チルドレンの更正・授産施設や、土地なし農民たちの支援にまで活動を広げている。
ブラジル奥地にも及ぶグローバリゼーションの荒波は、新たな貧困と差別を生み出し続け、フマニタスの闘いは尽きることがない。第三世界の社会的弱者と共に生きる日本人神父と修道女たちの愛と闘いの記録。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/
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