2011年7月25日月曜日

横浜大桟橋シネマフェスタ 成功閉幕のご報告

7月18日海の日の”横浜大桟橋シネマフェスタ Vol.1”、成功裏に閉幕いたしました。

当日はよく晴れたドキュメンタリー日和。

ジャックカフェのどデカハイネケンボトルは今日も鮮やかな緑色を発色している。

11時ちょいすぎに入店するとジャックカフェベースメントのジェット君は先に準備をしていてくれている。

ジャックカフェベースメントとしても映像イベントは経験が多いわけでは無いが、椅子やプロジェクタもしっかり準備してくれていて、一安心。

ジェット君のチョイスで、映画館ぽいスウィングを小さい音で流しながら準備。

岡村監督が少しするとやってきて、DVDチェックは何とか終了。
ジャックカフェに来るまでに物乞いを久しぶりに見たということで、こちらとしても意外な発見。
何かみたことはあるが、あまり意識したことはなかった。

1時を過ぎて徐々に来客が増えていく。

知っている顔もちらほら。

ちょっと不安だったが、何とか上映会の雰囲気に。

岡村監督のいつもの軽快なトークから、”40年目のビデオレター アマゾン編”が始まる。
40年以上前の1962年に神戸、横浜から700名の移民をのせたあるぜんちな丸第12次航。その同船者を探すドキュメンタリー。

希望を持ってブラジルへ渡った日本人達の様々なストーリー。

中でも、ブラジルへ渡ってすぐに風土病で子供をなくしたおばあさんが映像で出ていたが、その悲しみはどんなものだっただろう。

彼らの中にも数年で稼いで日本に帰ってくるつもりが、現地へ行って聞いていた話とは全く異なる状況の中で結局やむをえず向こうに永住することになった人もいる。結果的に良かったという人もいらっしゃったが、当時はそうは思わなかっただろうし、今も日本の方が良いという人もいる。

しかし、そんな話も日本では知らされていない部分が多い。
むしろ日本はあまり目を向けようとしない。

撮影を受けつけない人もいらっしゃった。

それぞれに色々なストーリーがある。

”赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み”

は、今回も佐々木神父の土地なし農民やハンセン病患者のブラジル人達への優しく深い眼差しに目を奪われてしまう。

ご縁で佐々木神父が2年間いらっしゃった黄金町の末吉町教会に前日に行くことができた。この横浜で活躍されて、そしてブラジル、パラナ州の田舎で今も活躍されている。

今回も再度、人生の本当の成功とは何か。という事について考えさせられた。

それぞれの作品に出てくる方々は、この横浜大桟橋を出発している。このジャックカフェがあるビルは80年を超える歴史があるので、その出航を目撃しているだろう。

そういう場所で今回の上映ができたということは何か縁があるのかなあ。

今回は岡村監督、そしてジャックカフェと、ジャックカフェベースメントのジェット君、ハッシーをはじめ、ジャックカフェとこの企画をつないでくれたザキさん、またシネマジャック&ベティの梶原さん、ART LAB OVAのヅルさん、受付を手伝ってくれたカメラマンの青木さん、細かい準備を手伝ってくれたまりかさん、色々な方々にご協力頂きました。


こちらは閉幕後の打ち上げの風景。

また次回も何かしらの形でできればいいなあと思います。