2011年5月31日火曜日

リバウンド

ちょっと減量と筋トレしようとGW後くらいからやってたけど、仕事の来客等ですっかり暴飲暴食に。

しょうがないしょうがない。

昨日は桜木町でJICAの方々と面会。

閉館中だったが連れて頂きふと入った部屋に移民モノの面白そうな書籍がいっぱい。

今度改めて開館中にいってみようと思う。

2011年5月22日日曜日

逗葉新道にのるまえに

何年やってもうまくならないサーフィン帰りに、葉山にすんでる地元の友宅に。

良い感じのへや。

葉山の山から吹き降ろす良い風。

なんかDIYで家具がグレードアップしてるし。

奴の空気が家の中にしっかり出てる。

自然に自然なかんじ。

何か自分の空間つうものを作る事って結構大事なんだなあ、と完全に無頓着な自分を反省。

しかし今日はほんと良い風がふいてるね。

2011年5月21日土曜日

部屋がきたないこと

7月にやる予定の催しものの準備など。

いかんせん右も左も分からない。

自分の中で悶々としてたり。

で、色々な方々に相談させて頂いている。

そのたびに彼らが持っているアイディアに驚嘆する。

自分が全然しらないので、感動もひとしお。
普通な会話みたいな中にも結構「へえーっ」てことが多い。

色々な方とあるコンセプトをキーに話すって楽しい。

なんかいますごく勉強できてる。

今回は人と人のつながりのすごさというものを再認識させていただく。
紹介してくれる方がいることでいろんなことが前にすすむんだなあ。

縁というのはほんと、ありがたい。

ともかく、少しずつでも前にすすめば。

経済的な仕事もがんばらないといけないんですが、両方が良い影響を与えられるような気がする。

にしてもワクワクすることで、ある意味心がみだれているのか、部屋が汚くなってきた。

2011年5月17日火曜日

横浜をテーマに

7月にイベントをさせて頂きたいと思っています。
”横浜”をテーマに。

また告知します。
横浜周辺に絡む人で徹底した文化人、遊び人ってだれだろう。

小島鳥水あたりかしら。

横浜正金銀行出身ということで永井荷風と少しかぶっている。

昔の銀行員は遊べたんですかね。

この人たちもそうだけどお金を持っている人は、文化や芸術に傾倒するのかな。

合気道では塩田剛三先生、文化と遊びでは植草甚一先生をそれぞれ勝手に大師匠とさせて頂いてる。どちらも僕の師匠の師匠。

植草甚一先生の”僕の読書法”では当時の横浜の古本屋巡りの様子が書かれている。

桜木町から本牧を通って間門まで、米軍落ちの古本を巡って散歩していたそう。

僕もそんな植草先生の散歩風景を想像しながら横浜を散歩します。

2011年5月16日月曜日

再スタート


合気道初段の認可を頂きました。
正直いいのかな。という感じだけど。

むしろ今後こそ本当に稽古が必要なとき。
気を引き締めて。

引き続き合気道を通して体と心の鍛錬をしていきたい。

合気道をやりたいと思ったのは、ある人との出会いと、自分の中に”日本”を持ちたかったから。

偏狭なナショナリズムではなく、地球人としての祖国のアイデンティティ、そういうものが持ちたいと思った。

そしてその思いは強まるばかり。
日本について知らない事がまだまだ沢山ある。。。

ここから初心に戻って再スタートを切りたい。

もうすぐ今年も始まって半年がたつので、もう一度年初の抱負を読み返してみた。
いくつか達成できそうなこともあるけれど、そうでないものも。

追加で今年中にやりたいことも出てきた。

こちらも新たに目標を洗い出し再スタート。

何よりも仲間達と毎日を楽しみながらやっていきたいです。

2011年5月8日日曜日

外に出る

ネットサーフィンをしていて、とある記事をきっかけに8,9年前にアジアを旅しているときに出会ったこれまたとある人の事を思い出した。

その人は小さな自分の子供を2人連れて世界中を旅していた。

バラナシの船で生活をし、その後ネパールや周辺国を回り、僕はマレーシアのペナン島でその人に会った。

とにかく明るい。

日本語をネイティブのように操る。

僕が日本神話について初めて知ったのも恥ずかしながら、日本生まれではないこの人から。
ボキャブラリーは日本生まれの人よりもよっぽど豊富。
この出会いの衝撃は今でも忘れない。

自分の価値観からはるか遠くにいる存在に出くわす。

その瞬間に。

ドアの隙間から、ほんの少しだけ”外”が見える。

そのときに自分というものが、どれだけ今いる”内”の事しか知らなかったことにきづく。

今でもそういう存在に憧れ、届かずにいる。

一度バラナシの船で世界中を旅するので、来ないかと誘って頂いたことがある。
船といっても、写真で見た限り、エンジンもちゃんと動くのかどうかという、そういう船だ。

そのとき僕は勇気が無く、話に乗れなかった。

今思えば凄い話だけれど、そんな事ってなかなか構想も出来ない。

外に出るという事。

それは自分と全く違う価値観に出会うということ。

その瞬間を待ちわびているのかなあ。

2011年5月7日土曜日

横浜港シンボルタワー



横浜港シンボルタワーへ。
自宅からバイクで10分程度。

ここからの景色は圧巻。

本牧ふ頭の全体が見渡せる。
なかなか近くで見る機会の無いガントリークレーンが目前に、コンテナ群とともに。

平日だったせいもあるだろうが、コンテナヤード内をトラックやフォークによってコンテナがせわしく動き回る。

港ヨコハマとはよく言うが、実際に横浜の街にいて港を感じるチャンスはあまりない。

そういった意味でここは本当に横浜の原点が見られる。

こうして世界中から集まる船によって日本の物流拠点として発達し、それにともなって街は潤っていき、今の大都市となった。

山手や元町に見られる欧米に影響された風情や、巨大な中華街は、この港を窓口に、多くの外国人とともに文化の入り口となった。

何よりも横浜は港によって発展した街だ。

このシンボルタワー、エレベーターはなく、展望台までは階段で昇ります。

すごい観光資源を横浜はもっていますね。
ガラガラでしたけれど。

僕は感動しちまいました。
特に物流関係や貿易関係の仕事についている人には本当お勧めです。

2011年5月4日水曜日

コッポラー

サイゴンは今のベトナム、ホーチミンの旧称。

”地獄の黙示録”で最初に一瞬だけ街の様子がチラリと出てくる。

穏やかな街の様子。

そしてジャングルでの戦闘。

”戦場では故郷を想い、故郷では戦場を想う”

という言葉が映画の中にある。

あれだけの戦闘の中にいて、故郷に帰ったらどうなるんだろうな、と思う。
少なくともある期間は抜け殻になってしまう人も多いだろう。

善と悪、強者と弱者という相反する精神について考えさせられる。

ベトナム人は世界の大きな流れに翻弄されていたんだなと思うと、この間のだましてきたタクシーの運ちゃんやなんかもゆるそうかなと思う。

コッポラ監督はすごいですね。。





このグロテスクな食べ物はブラジルの国民食でフェイジョアーダ。ためしに自分でやってみたらそこそこ近いものが出来ました。なんでもやってみりゃできるんですね。。